余談 旧正月の思い出
池田「昭和20年の旧正月は2月15日なんですが、なにか思いではないでしょうか。ちょうど、戦いの前の正月のことなど覚えていませんでしょうか」
宮城「これが旧正月の歌なんだよ「月の浜辺」これは思い出。読谷飛行場に作業行ったんだ。二泊三日で。それで嘉手納駅から帰るときにね。客車がいっぱいで俺たち中学生は乗れなかった。貨車に乗った。発車するころに走ってくる女の子がいた。そこでおれは彼女の手を引っ張ってね。貨車に乗せてあげた。妹さんを連れていたなぁ。『どこへ行くの』『那覇へ』『何しに行くの』『那覇に映画を見に』行くという。「海軍」という映画やってたんだね。それで。俺はほんとは安里駅で降りるところを古波倉駅まで行って降りた」
池田「彼女が下りる駅でおりたのですね」
宮城「いや、彼女は那覇駅まで、映画館があるのは那覇駅だから。その一つ手前の古波倉駅でおりた。そして手紙を送ったら返事が来た。それを見て母親が内心うれしかったかもしれないが、「勉強しなさいよ」といった。それで旧正月に招待、来ないかという手紙が来た。普通一般にはおいしいのを食べられない。物資が少ないから。それで行ったんですよ。その時は一中の制服を着て。シナに行った従弟の服を借りて。めかして。そしたら、砂辺の駅まで迎えに来ていた。終着駅が嘉手納駅、砂辺駅はその手前の駅だ。そして、家に行きましょうと。お正月だからご馳走があると、そして行って挨拶をして、それから月の浜辺を散歩した」
池田「なるほど、それが月の浜辺なんですね。え、ちょっと待ってください。それは昭和のいつごろの話なんですか」
宮城「昭和の20年のね」
池田「え、ほんとに20年なんですか。沖縄戦が始まる直前ですよね」
宮城「そう、沖縄で最後のランデブーをしたのは俺だ。それを大事にして。歌にしてる。その後どうしてるんだろうなと、弟に頼んで探してみた。そしたら消息が分かった」
池田「ちょっと、待ってください。見つかったのはいつごろの話ですか」
宮城「つい、二、三年前。フィリィッピンの人と結婚して金持ちになって暮らしている。思い出すけどね、ゆうなの花があるね。嘉手納の駅までね、だいぶ遠いんだけど、ゆうなの花の垣根をとおって、薄暗い中を、そのさきが砂辺の海岸、海岸に出たら月の浜辺だった。夕陽はなかったけど月が輝いていた」
近年、宮城氏はその時の心情を60星霜へて次のように詩にしています。
月見れば
十七歳の初恋を
心の隅で思い出す
八十余歳の老人の
思いを覚えているかいお月様
いくさ故
半年で消えた幼き恋
戦で切られた二人の仲