全文

「あの夜空に輝く無数の星の中に、この星と同じ星があるんだ。その星にはこの街と全く同じ街があり、建物も道路も、通りを走る車も、そこへ住んでいる人々も、すべて同じなんだ。僕の友人、知人、隣人、家族と全く同じ顔をした人々が住んでいる街が、あるんだ」

少し小高い空き地にある草むらに寝転がって夜空を見上げていたアーキーが、ひと呼吸おいて、彼の横に寝転がって夜空を眺めている僕を振り返り、僕の目を確かめるように覗き込んだ。そして再び夜空の星を見上げて彼はこう話を続けた。

「僕はそこへ行ったことがあるんだ。その街は沙漠の中にあり、昼と夜では全く違う世界になるんだ。昼間は焼き尽くすような勢いで太陽が輝き、通りを行く人々は陽の光を避けながら、ビルの日陰を頼りに歩いているんだ。陽が沈むと湿った風がゆっくりと流れだし、それを合図にエーテルが空から降りてきて、街中のネオンと街灯はそのエーテルで一層輝きだすんだ。そして通りを行く車のヘッドライトでさえ、ギラギラと猫の目のように輝きだすんだ。その頃になると誰も彼もが街へ繰り出して来て、赤、青、白、黄色の点滅するネオンが輝く通りを歩き、それぞれの待ち合わせの店に出たり入ったり、時には通りで立ち止まって互いの近況を確かめあったり、今夜の食事の相談をしたりと話をしているんだ」

一語一語ゆっくりと話すアーキーの声は僕の心を捕えていた。彼の話しに嘘は感じられない。アーキーは本当にその街へ行って帰って来たんだ。彼の云うその星はどの星なんだろうと僕はひときわ輝く星を探した。

「ところが、その街の人々は誰も僕の事を知らない。僕が知っている街で、僕が知っている人々が暮らしている街なのに、僕は彼らの顔を知っているのに、僕の事を誰も知らないんだ。声をかけようとしても、僕がそこにいる事さえも気づかず、誰もが僕の前を通り過ぎて行くんだ」アーキーはそこで黙った。

僕も黙って夜空を見上げていた。わずかに風が吹いた。風は心地よい。するとその風に星たちが揺れ動いているのが見えた。

「アーキー、星が揺れているよ。風が吹くと少し動くよ」と僕が言うと、「フー」とアーキーが夜空に向かって息を吹いた。

「ほら、あの星たちは吊るされているんだ、だから動くんだよ」そう言いながらアーキーはもう一息、空に向かって「フー」と息を吐いた。「ほらね」アーキーが息を吹きかけるたびに星は揺れた。

僕は目をつむり、砂漠の中を歩くアーキーを思った。

背中に突き刺さる陽光にアーキーの体は溶け始めていたに違いない。靴に絡まる砂を掻き分けて右足、左足と、一歩一歩足を前に出すが、目の前の街には行きつかない。ちょうど、僕たちが真夏の浅瀬の海で太陽に焼かれながら歩いているようだと思ったが、海なら海水に浸かれて暑さをしのぐこともできるが、砂漠では無理だとすぐに気がついた。

沙漠での熱さは想像できないが、アーキーは二、三歩先の砂を見つめ、前かがみになりながら歩いたはずだ。そのアーキーの前には影が伸び、少しずつだが時間の経過とともに影は伸びていたはずだ。いや、時間など判りようもなかったと思う。遠くに見える建物らしきに向かって、歩みを進めたはずだ。

1968年、僕とアーキーが草むらに寝転がって夜空を眺めていたある夏の夜、僕達が住んでいた故郷はまだ外国だった。世の中は騒然としていて治まりがつきそうになく、街中や米軍基地のゲートの前ではいたるところでデモと集会が繰り返され、「白」「黒」「緑」「青」「赤」の色とりどりのヘルメットや旗がうねっていた。昼間はひっそりとして人気なく佇んでいた僕が住んでいた街は、夕刻になるとちらほらと人々が動きだし開店の準備を始めるのだ。その時刻になると、近くの海岸からは何千キロも離れた異国の街の人々の頭上に、何百トンもの爆弾を落として帰ってきた黒い機体の飛行機が碧い海の上を低く飛び、その向こうで水平線に飲み込まれまいと最後の輝きをまき散らす夕陽の光で、その黒い機体を眩しく輝かせるのだった。まだ戦争は続いていて、陽がすっかり沈むと僕の街は米軍の兵士で溢れかえっていた。

僕が東京の大学へ行くと理由をつけて故郷を離れたのは『復帰』前の事だ。それから40年が過ぎた8月の夏のある日、僕は故郷へ帰って来た。午後一時に羽田空港を飛び立ったスカイマーク517便は、途中で故郷へ近づいて来る台風の影響を受けて大きく揺れたが、定刻より少し早く午後4時前に故郷の空港へ到着した。到着直後の印象は、キラキラと輝く太陽が眩しくサングラスを忘れた自分を後悔した。懐かしい故郷へ降り立ち、ニコニコ顔の僕は誰に会う事も話をする事もなく、到着ロビーからタクシーに乗り、かつて住んでいた街にあるホテルへ向かった。空港を出た車はすぐにトンネルに入った。

「トンネルができているんですね、これはどこまで続いているのですか」と運転手に聞くと「ちょうど、お客さんの行先の街まで続いていますよ、街中の混雑を避ける近道ですよ」と言うタクシードライバーとの会話が40年ぶりの故郷での最初の会話だった。しばらくすると長方形のトンネルの出口が見え、その向こうに青い空と白い雲が見えてきた。トンネルを出た車は海岸沿いの高架橋を通り、右に折れて陸地へ下りた。綺麗に舗装された片側二車線の新しい道を浜辺の方へ向かい左に曲がると「ここがその街ですよ」とドライバーに言われた。一度も忘れたことのない街の景色はすっかり変り、記憶とは結びつかない街並みが目の前に広がっていた。大通りをしばらく走って脇道へ入り、予約をしてあったホテルの前で車は止まった。そこはかつて米兵を相手に、そして復帰後には本土からの日本人を相手に、女性が客を連れ込んだであろうと思われる小さな三階建のホテルだった。『日観連』の札をぶら下げ観光客相手の商売に鞍替えしていたが、外観からは二階と三階部分の天井が通常より低く、外から見える部屋の窓も大きくなくその数も少ない。ホテルの過去は隠しようもなく見るからにそれと分かる面構えで建っていた。ここへ到着するまでのタクシーの窓から眺めた閑散とした通りには、バーやクラブが数軒開いていて、その玄関には黒服を着た呼び込みの男達が所在なさげに立っていた。顔をキョロキョロさせ、獲物を逃がすまいと目を輝かせ、ときおり通りを歩くわずかばかりの人達へ、作り笑いを向けて声をかけていた。

車を降りると、飲み屋街特有の夜の喧騒を残す饐えた臭いが鼻を突き、通りを流れる充分に熱せられた午後の湿った風は場末の吹き溜まりの感触を肌に伝えてきた。

かつて戦場から無事にもどり、ひと時の歓楽に我が物顔で歩いていた多くの米兵達に変わって、物珍しそうに辺りを歩く数人の日本人と所在なさそうに佇む呼び込みの男たちの町なっていた。

陽が沈むと店の名前を映し出すネオンが輝き、店先に立った男たちが「フローショー、ロッショー、ロッショー」と大声を上げ、通りを歩く米兵達にストリップショーが始まるよと声をかけ、店先には派手な服を着て化粧をした女が椅子に座り、「今夜の相手はそう簡単にはならないわよ」とこれ見よがしにタバコの煙を夜空に向かって吹きつけていたり、ある店先では女と米兵が口げんかをしていたり、それぞれの店では、ジュークボックスの音楽や、ライブ演奏の音楽が流れ、白、黒、茶色、赤、の肌の人々が乱れ歩いていた街、そのような過去が忘れ去られる事になる街になっていた。

8月4日

宿泊先のホテルの狭い玄関のドアを開けると、目の前に小さなカウンターがあり,床には紅い絨毯が敷いてあった。24時間入れる浴場とサウナがあるというのをネットで知りこのホテルを選んだのだが、チェックインカウンターの中で僕を待っている若い男に、ネットから印刷した宿泊予約書を手渡しながら念の為に聞いてみた。

「サウナはあるんですよね」真夏の故郷では疲れを癒し、汗を流すサウナはどうしても欲しいところだ。

「ええ、ありますよ。三階にあります。一番上です」

「そう、よかった」と僕は答え、カウンターの中の男から部屋の鍵を受け取った。鍵を手渡しながら男は「お仕事ですか」と愛想よく聞いてきた。「里帰りです」と言うと、「こちらの方ですか」と少し驚いた顔をしたが、「本土の方かと思いました、名前を見ましても、姿も服装もすっかり本土の人だと思いましたよ」と更に微笑をたたえて言った。僕はなんとなく愉快になり、「この辺も随分と変わったようですね、昔はAサインバーが軒を連ね、米兵で溢れかえり賑やかだったんですよ」と言うと「その頃を知っていらっしゃるんですか、そのように聞いたことがありますよ、でも今ではその時代の事を覚えていらっしゃる人はほとんどいないようですよ」

「あなたの御両親は」

「いや、私は内地の人間ですから」

それを聞いてさらに僕は得意顔で「故郷を離れる前はここに住んでいたんです。懐かしくてね。街を歩いてみようとこのホテルに泊まる事にしたんです」そう語った僕はおそらく満面の笑みを湛えていたと思う。

「ありがとうございます。良い滞在になりますように」と男は言い、カウンターの横にあるエレベーターの乗り口を教えてくれた。

「では、また」と僕は二階の自分の部屋へ行く為にエレベーターのボタンを押した。部屋へ入るとすぐにエアコンのスイッチを入れ、ベッドの上に置かれている小さなデジタルの時計をみるとPM4:55を示していた。そしてベッドに横になり目を閉じ「アーキー、やっと帰って来たよ」と小さな声で言ってみた。

そのまま暫く横たわっていたが、汗を流し服を着替えようと三階のフロアーの浴場へ向かった。その風呂場には二人しか入れないミストサウナがついていた。一人で入っていたそのミストサウナへ、歳の頃は10代の後半か、20を超えていても21,2であろうと思われる若者が入って来た。

「すみません、隣に座らせてもらってもいいですか」

「いいですよ」

「今日は暑かったですね」

屈託のない若者が僕に相槌を求めてきた。

「ええ、汗をかきました」

「そうですよね、こんな日はお風呂が一番、湯船につかって、サウナへ入る、疲れが取れますよね」

「まったく、その通り」

「ところで、どちらから来られたのですか」と若者は丁寧に僕に聞いてきた。

「東京なんですよ」

「東京の方ですか」

「いや、生まれはここ、ここの生まれ」

「じゃあ、ウチナンチュですね」

「ははは、ここで生まれたら、皆ウチナンチュならいいんですが」

「生まれがここならウチナンチュじゃないんですか」

「まあ、そうなんだろうけど、永いこと離れていましたからね」

「そうですか、何年ぶりなのですか」

「40年ぶり」

「40年、40年というと、僕はまだ生まれていませんよ」

「そうでしょうね、20前後でしょう」

「ええ、今年で19歳になります。神戸から来ました」

「すると大学生」

「いや、浪人しちゃいました。ちょっと疲れたので、気休めにここへ来たのです」

「そう、まあ、そういう事もありますよ。じゃあ、あっちこっち回ってるんだ」

「ええ、もう三日目です。おじさんは親戚に会いに来たのですか」

「いや、親戚はいない。友人に会いに。今日着いたとこなんです」

「そうですか、では、これから会いに行くのですか」

「まあ、そういうところかな」僕は口をにごして「先に上がるよ、また、いずれ」と言ってサウナを出た。

部屋へ戻った僕はベッドに両手を広げて仰向けに寝そべって、アーキーの事を思い出していた。アーキーを探す当ては全くなかった。アーキーの本名さえ実は知らない。そういえば、何処に住んでいたのかさえ知らない。一緒に遊んでいても、あの頃の僕たちにはあだ名で呼ぶ事で充分だった。アーキーはハーフで僕より年上なのは知っていた。そしてアーキーは僕の事をサミーと呼んでいた。

そうだ、アーキーと初めて会ったのはこの海岸にあるボートハウスだった。ボートハウスへ行けばグラスが手に入ると聞いた僕は高校を卒業したところだった。ボートハウスは海岸の岩場の上に木で組み上げられ、海に張り出した小さなディスコだ。確か同じような店が二、三軒並んでいたはずだ。アーキーはそのうちの一軒でジュークボックスから流れる音楽に合わせて踊っていたんだ。なんという名前の店だったのか思い出せないが、そこへ行けばグラスが手に入ると聞いた僕が訪ねて行って、アーキーと会ったのが最初の出会いだ。

「あのー、ヨシオから聞いてここに来たんですけど・・・、アーキーに会いたいんですけど・・・」

確か夏の夜、ボートハウスは薄暗く、色とりどりの小さな照明が天井に吊るされ灯っていて、カウンターの中のボトルを置いてある棚の上にはブラックライトが青く灯っていた。そしてジュークボックスから音楽が流れていた。

ためらいながらカウンターの中の男に僕が声をかけると、「どこのヨシオ」と聞き返してくるので、「キンクスの」と言うと、「ああ、あのヨシオな」と言って、「アーキー、ヨシオの友達だって」踊っていた男に大声をかけた。「そうーねえ」と独特のイントネーションの、ゆっくりした口調でこちらを振り返り、ジュークボックスから流れるドアーズの曲に合わせて、踊りながら僕の傍にやって来た男は、ボーカルのモリソンの声の合間から「それで」と僕に聞き返してきた。

「マリファナが欲しいんですが」

「おお、ハッピースモークね、いいよ、ワンパウンド五ドル」

「五ドル」

「じゃあ、半分3ドル」

「3ドルもないんです1ドルしか持ってないんですけど・・・」残念そうに僕が言うと「オッケイ、では巻いたやつを1本ね」といって、金属製のタバコケースの中から、細長く紙に巻いてあるグラスを取り出し、「一本で十分だよ」といって僕に手渡した。僕もジーンズのポケットから一ドル札を取り出しアーキーに渡した。さっそく口にくわえ、カウンターへ置いてあったマッチ箱からマッチ棒をとりだし火をつけた。タバコを吸ったことのない僕があわただしく煙を吸ったり吐いたりして、うまく吸えずに咳き込むと、見かねたアーキーが「おい、おい、もったいないじゃないか、タバコじゃないんだから、もっと吸い込んでしばらく息を止める。そしてゆっくりと息を吐く、そしてまた大きく吸い込むんだ。これを繰り返すんだ」と僕の右手からグラスを取り吸って見せた。アーキーから再びグラスを手にした僕は、今度はおもいっきり煙を吸い込み息を止めた。そしてゆっくりと吐き出した、それを二、三回繰り返しているうちになんだか笑いが込み上げてきた。

「あれ、なんか可笑しい。笑ってしまう。どうしたんだろう」声をあげて笑い出した僕に近寄ってきて「ようこそ」と声をかけてきたアーキーの目は充血はしていたが、その顔は意外にも目鼻立ちが整っていて崩れてはいなかった。

「で、名前は」と聞くので「マサミです。サミーと呼んでください」

「オーケー、サミー、ヨシオとはどんな関係」

「彼のバンドが好きで、よく聞きに行っていて、今ではバンドボーイみたいなことをしています」

ヨシオはキンクスと言う名前の四人組のロックバンドのリーダーでボーカル、彼らはアメリカンロックの完璧なコピーバンドで、彼らの奏でる音楽はベトナムへ向かう多くの米兵から熱烈な支持を受けていた。米国本土から新たにこの街へ交代でやって来た米兵達も、噂を聞いて彼らのライブを見に来るようになっていた。かなりブロークンな英語が話せた僕は、彼らのライブを見に行っているうちに、いつの間にかバンドメンバーに代わり米兵とのやり取りをするようになっていた。その当時この街へ駐留する米兵達は、半年おきにベトナムとこの街を行き来し、この街で血の沁みついた身体を女で洗い流し、壊れた心を音楽と薬で癒すのが常であった。

ベッドで目をつむって横になっている僕の頭の中に遠い記憶が懐かしく蘇ってきた。そうだボートハウスはどうなったんだろう、今もあるのだろうか。僕は記憶をたよりに街へ出てボートハウスのあった場所に行くことにした。

まずは海岸だ。海岸を目指そう。この街の西に夕日は沈む。夕日の沈む方へ歩いていけば自然に海岸へ出るはずだ。海岸にはサンゴ礁の岩で囲まれたプールがあったはずだ。そのプールは潮の満ち引きにより、海水が増えたり減ったりする自然を利用したプールだ。そこは子供たちがいつでも泳げる遊び場だった。その横にボートハウスは建っていたはずだ。

駐留する米軍のひきあげにより、かつて僕が徘徊したこの街には新しいアパートが建ち、ところどころに空地がある街に変わっていた。米軍依存の街から脱却しようともがいているようだ。一歩裏通りへ入るとファッシォンヘルスの看板が目立ち、一層場末の侘しさを漂わせていた。琉球王朝時代のこのあたりは中国や薩摩、あるいは南の島々から、そして遠くインド洋を越えてやってくる交易商人達の遊び場でもあった。歴史的な歓楽街であるこの土地にしみついた瘧(おこり)はそう簡単にはとれそうもなかった。

なかなか海岸にたどりつけず、しばらく歩いて海岸らしきところへ出たが、そこは今では海岸ではなく目の前に大きな橋が架かり、海に突っ立った橋梁に、広がりのない青い海とわずかばかりの人工の砂浜が押し込められ、記憶にある海岸とはいえなかった。すっかり変わってしまった海岸を目にしたせいか、あるいは夕刻の照り輝く日差しの中を歩いた為か、僕は少し気分が悪くなり、帽子を忘れたことを悔やみながら来た道を引き返した。ホテルへ帰る途中、バーの前に立つ黒服の若者に何度も声をかけられた。その中は昔のままなのだろうか、まさか、そんなはずはない。その中へ入るとベトナム帰りの、今回も助かったと安堵したマリンや、失くした戦友を思いやけになったアーミーが、そして明日はベトナムへ向かうというエアーフォースのパイロット、米軍の兵士達とその米兵達に金を使わそうと奇声をあげダンスに興ずる女達、ステージではフィリッピンのバンドがロックを演奏しているのだろうか。入ってみたい衝動を抑えてなんとかホテルの部屋へ戻った僕は、汗まみれになった服を脱ぎシャワーを浴びて、ベッドに横になり再び記憶をたどった。

「なに? 前といったって顔がどこを向いているかさえ分からないのに、何処が前なんだい」と僕が言った。「足の向いているのが前なんだよ、ほら、まっすぐ歩きな」とアーキーの声がする。草むらに寝転がっていた僕達は歩いて街中へ出てきたらしい。「ほら、しっかりしろ、そんなにフラフラして歩いていると怪しまれるじゃないか」マリファナやLSDでふらふらしているわけではなく、一緒に飲んだ酒で体が揺れていた。誰に会おうが見られようが、はた目には酔っ払いが歩いていると見えているはずだと、僕の意識はわりに冷静だったが、彼の声に姿勢をまっすぐにして歩き出した。トリップする時は少し酒を飲んで、酒の臭いをさせるんだ、そうするとただの酔っ払いと思って誰にも気づかれないよ。と、アーキーに教えられたとおりに酒を飲んでいたが、酒に弱い僕はドラッグよりも酒に酔ったらしい。僕たち二人は友人達のたまり場である街へ帰ろうとしていた。そこにはオールナイト、24時間開いているレストランがあり、空腹を覚えた僕達はそこを目指して歩いていた・・・・。街へ入るとキンクスが演奏をしているライブハウスへ行ったアーキーと別れて、僕は一人でレストランへ向かった。まっすぐに伸びたメインストリートの両側はナイトクラブが立ち並び、様々なネオンが輝いていて、行き交う多くの米兵と、その米兵を店に引き込もうと呼び込むボーイ達が大きな声をあげていた。その通りではトリップしている僕に誰も関心を持つはずはなかった。通りから二つ目の角を左に曲がり、一つ目の四つ角を右に曲がるとレストランがあった。コンクリート作りの建物の壁は白くペンキで塗られ、その上に大きくレストラン・ニューヨークとネオンが輝いていた。

レストランのドアを開け中に入ると、テーブルに上半身を突っ伏して座っているチャコがいた。「チャコ」と声をかけ彼女の肩に手をかけると、彼女はゆっくりと揺れる体を起こし、僕に気がついて「サミ―、スピード、持ってない」と重そうな口を開いた。その時の僕のポケットにはスピードとオレンジとホワイトライトニング、そしてLSDのなかでも一番好きなパープルヘイズが入っていた。瞼をゆっくりと開けたり閉めたりしているチャコの目は焦点が合わず、体も揺れている。テーブルの上には食べかけのオムライスが置かれていた。チャコの言葉はすでに聞き取りにくかった。椅子を引きチャコの真向かいに僕は座り、店員をよびフライライスを注文した。「どうしたんだ」と彼女に聞くと「やり過ぎたみたい」と言う。その時に彼女がドラッグの何をやり過ぎたのか今は思い出せない。「体が元に戻らないの、だからスピードを飲んで元に戻すの」と呂律の回らない舌で懸命に話すので、「いいよ、あるよ、どのくらい」と聞くと、二、三個欲しいというので、僕はポケットから二個取り出し、彼女にくれてやった。彼女は受け取ると水の入ったコップを引き寄せ二個とも一度に飲んだ。

「そんな事で元に戻るの」と聞くと、いや、おそらく僕はその時、彼女にそう問いかけたはずだ。「わからない、でも、スピードは興奮するじゃない、だから、元に戻るかもしれない」と彼女が答えた声は、今でもはっきりと覚えているからだ。

ちょうどその時、店員がフライライスを運んできた。店員は僕達の事を全く気にかけてなく、僕の前にフライライスを置き、何も言わずに僕達の傍を離れた。この店の店員にとってラリッた奴を見るのは日常の事だからだ。僕はゆっくりとフライライスを口に運んだ。こんな時は慎重に物事を進めるのだ。怪しまれては元も子もない。これがフォーク、これが水のコップ、これが皿、皿の上にはフライライスが乗っていると、自分に言い聞かせて。

体を起こしてスピードを飲んだチャコはしばらくオムライスとにらめっこをしていた。そして危なっかしい手つきでスプーンを取り、食べようとしたが、揺れる体にうまくいかず、そのままオムライスの上に顔を落としてしまった。声をあげて笑いはしなかったが、たぶん笑わなかったと思う。僕はゆっくりと慎重に席を立ち、チャコの体を起こして、ケチャップにまみれたその顔をナプキンで拭いてあげた。体を起こされたチャコは再びテーブルに突っ伏したが、今度はうまくオムライスを避けた。

僕の記憶の映像はここで止まっている。そうだあれからどうしたんだろう、確かそのあとすぐにミサとマーサがやって来て、チャコを彼女たちに任せ、僕は店を出てアーキーの待つライブハウスへ向かったはずだ・・・。その後に起こった事件の事はよく覚えている。

ミサ、マーサ、チャコの彼女達三人は僕がフロアー係をしていた米兵を相手にするディスコで踊っていた。短いスカートとブラジャーだけでお立ち台の上に立ち、スポットライトを浴びて音楽に合わせて踊っていた。そして、それぞれに米兵の彼氏がいた。彼らはお金をたくさん持っているから、アパートを借りて住まわしてくれるし、家具やテレビにステレオ、冷蔵庫に洗濯機と何でもそろえてくれるし、それにミッションが終わり、彼らが本国に帰るときにはそのまますべてもらえるから。お金も稼げるし。と彼女たち三人は口をそろえてそう僕に言ったが、その言葉通りでない事は、はにかみながら話す彼女らの表情から僕は感じとっていた。特にマーサは付き合っているエアーフォースのキースの事を愛していることは知っていた。そして彼女達やそのボーイフレンドの米兵達は僕のお客でもあった。

そうだ、あの頃、僕たちがたまり場にしていたレストランは今でも開いているのだろうか・・・。

僕はそこまで記憶をたどると目を開けた。仰向けに寝ていた僕の前にコンクリートの壁が見えた。ここがどこなのか気がつくのに少し時間が必要だった。すっかり陽が落ちているようで、陽の光の代わりに窓からはネオンの光が差し込んでいた。ネオンの光は僕をワクワクさせる。幼い頃に育ったこの街を思い出させるからだ。暗くなったら昔のたまり場にしていたレストランを尋ねてみようと思い、記憶をたどりながらいつしか眠ってしまったようだ。携帯で時間を見ると、すでに夜の10時を回っていた。空腹を感じた僕はレストランを訪ねることにした。

記憶をたどりながらホテルから懐かしの通りに出ると、そこには目指すレストランがまだ建っていた。元は白いコンクリートであった壁が薄汚れて、その上に黄色のペンキでレストラン・ロスアンゼルスと記されていた。名前は変わっていた。ドアの横には昔ながらのアメリカン料理と看板が立てかけてあった。輝くネオンサインはなく、経営者が変わったのであろうと思った。ドアの前に立つとPULLとノブのところに表示がしてあり、かつての友人たちの消息が分かるかもしれないとドアを引っ張った。店内へ入ると、正面のカウンターの上には料理の写真がカタカナ表記で数点かけてあった。ニューヨークステーキ、ポークチャップ、ハンバーガーに混ざって、フレンチフライの写真もあった。カウンター横の壁の前に電気の消えたジュークボックスが置かれていた。椅子とテーブルの配置は昔のままのようだ。客が二人、右端の壁の前のテーブルに座っていた。僕はジュークボックスの前のテーブルを選び、椅子に座りメニューを開いた。メニューは英語と日本語で書かれていた。グラスに入った水を運んで来た店員にフライライスを注文した。そして問いかけてみた。

「このジュークボックスは今でも現役、電気が入ってないようだから、壊れているんですか」と聞くと「いえ、スィッチを入れたら今でも鳴りますよ、でも、音が悪くて、レコードも古いものばかりで雑音が多く、滅多にならさないのです」

「じゃあ、お願いしてもいいかな」

「ええ、いいですよ」

快く承知してくれた店員は僕の傍を離れ、カウンター越しに調理場の窓へ向かって「フライライスを一つ」と声をかけ、ジュークボックスの裏に転がっているコンセントを差し込みスイッチを入れた。低い鈍い音とともにジュークボックスの灯りがついた。それを確認して僕はジュークボックスの表に並んでいる曲目のタグを見に行った。タグはところどころ消えかけていたが、アルファベットのタイプで印字された英文の昔のままで、ボックスの中からの表示灯でそのタグが薄く柿色に輝いていた。そして、ディランの「レイレディレイ」が目にとまった。

「これはお金を入れるんですよね」

「いや、お金入りませんよ、お気に入りボタンを押してください。鳴りますから」僕はFと8を押した。レコードの入ったマガジンが動き、リクエストした曲を銀色の小さなアームが引きだしターンテーブルに置くと、横から滑るように寄ってきたレコード針のついたアームがドーナッツ盤の上に落ちた。ガリッという針とレコード盤の接触音がして、しばらくするとキーボードのゆるやかな音とともに、ディランの声が流れてきた。テーブルへ戻り椅子に座り曲に聞き入った。ディランが終わっても次の曲をかける気にはなれなかった。今更、昔を懐かしんでもしょうがないと突然の寂寥感に襲われたからだ。

「お前を知っている者などもうこの街にはいないよ」と、心の中の僕が冷たく言うのが伝わってきた。

「奴らに会いたいだけなんだ」

「会ってどうするんだよ」

「奴らに会って、ほら、僕は昔のままだよ、昔のまま帰って来たよと、言いたいだけなんだ」

心の中の僕と対話をしてみたが、四十年も過ぎた今、昔のみんなは変わっているはずだ。昔のままでいることなどはあり得ないと、冷静な意識はそんな僕を見つめていた。矛盾していることは百も承知しているのだが、心の奥底でその矛盾を強く拒否していた「会えば、たちまちのうちに元に戻るはずさ」と囁く声も聞こえてきた。

僕の前にフライライスが運ばれて来た。それに気がついた僕はフォークを手にして一口食べてみた。僕は昔からフライライスやオムライスはフォークで食べることにしていた。かつて食べた味とはそれほど違っていないように思えた。注文したフライライスは炒めたご飯に、細切れの牛肉と玉ネギのスライスが程よく混ざっていた。最後に残ったご飯粒をフォークの隙間で押さえつけ、残った肉をフォークで突き刺して口の中へ入れた。

全て食べ終えた僕は念の為にカウンターへ入っている先ほどの店員に聞いてみた。

「ここの経営者は昔からの人ですか」

「昔からと言うと」

「ああ、復帰前の、米兵相手のレストランの時からの」

「さあ、よく分かりませんが、違うと思いますよ」と店員はそっけなく僕を見て答えた。

壁には琉球政府発行の、米兵に飲食物を提供する許可を示す「A」の文字が大きく入った許可証が、額に入って昔を懐かしむようにぶら下がっていた。ここも観光客を相手にする店に変わっているようだった。お腹を満たした僕は疲れもあったのだろう、急に眠くなりそれからどこにも行かずにホテルへ帰りそのまま眠ってしまった。

 

眠っている僕は夢を見ていた。夢の中の僕は一人沙漠にいるらしい。どこへ進んでいるのか全く分からないから、そして砂地を歩いているから砂漠だと信じている。だって太陽の光と、足に絡まる砂から照り返す熱で、僕の体はロウのように溶けかかり、体を引きずりながら、とりあえず前へ動こうともがいていたのだから。僕は夢の中でこの間の続きだと自分に言い聞かせていた。僕はある街へ向かって歩いていたのだ。砂の向こうにはその街の入り口が見えていた。

砂漠の太陽は一日の最後の力をふり絞ってますます燃え盛り、きっと僕を溶かそうとしているのだろう。夜が来る前に溶かしてしまわないと、月が回ってきたら、また明日の朝からやり直しだとますます力強く輝きだした太陽に向かって、「ざまあみろ」とささやかな抵抗を口にしてみる。どんなに照りつけようが今日一日では溶けてしまわないよ。もうじき夜になるんだから。夜になったら溶けた体を整えて元に戻すんだ。

「ナンダイ、それなら夜に移動すればいいじぁないか」と僕が僕に聞くと、「それはダメだね、夜は星の奴らがたくさん現れて、何処へ向かっているかまったく分からないし、夜の間に体が再び固まるのを待たないといけないんだ」と砂漠の中の僕が答えた。

「お月さんを頼りに歩けばいいんじゃないの」

「だめだね、あいつは太陽の下僕、こっちがどこへいるかきっちりと監視しているんだ、騙されたらいけないよ、しかも星達は吊るされて輝いているんだから、あの月の光も星の光も、実は太陽の光を照り返してるんだから、あの光は偽物だから」砂漠の中の僕は僕に向かってはっきりと答えた。

かすかに鳥の声が聞こえた。この街にも鳥は鳴くのだと気がついた僕は目を開けた。故郷へ帰り始めての朝だ。昨夜はたまり場にしていたレストランでフライライスを食べた後、どこへも寄らずにホテルへ帰り、そのまま眠ってしまった。時計を見ると朝の六時前だ、朝食には早かったので、風呂場へ行くことにした。

風呂場には昨日のあの若者が先に来ていた。

「おはようございます」とプラスチック製の椅子にお湯をかけ、座りながら僕の方から声をかけた。シャンプーで泡立った頭をこちらに向けて、「あ、おはようございます」と丁寧に彼は答えた。好感のもてる若者だ。

「朝が早いね」と蛇口を回しながら言うと、

「今日はサーフィンへ行くんです」

「そう、この辺に波が立つの」と聞くと「摩文仁の海から、喜屋武岬の方へかけての海岸には良い波が立つというんで、そこへ行ってみようと思うんです」と言う。

「え、そんなところで、人がたくさん亡くなったとこだよ」

たしなめるつもりはなかったが、びっくりした僕の声は少し大きくなっていたのかもしれない。

「不謹慎ですか、でも、けっこう人がたくさん来ているらしく、サーフィン仲間では有名なポイントだそうですよ」

彼は少しバツが悪そうな顔をしたが悪びれずに答えた。

「いや、不謹慎かどうかは知らないが、地元の沖縄の人はそこではサーフィンはしないんじゃないのかなあ」

僕の声が若者にはまだ不機嫌そうに聞こえたのだろう。

「結構、地元の若者もいるらしいですよ」彼の声は気分を害しているように僕には聞こえた。僕は話題を変えようと「あっという間に時代は変わるからね。仕方のないことだろうね」と言うと、「ここで戦争があった事は知っていますよ、たくさんの人が亡くなったことも、自決の話や住民が逃げ込んだ壕で日本軍が行ったひどい話も、中学の修学旅行の時にここへ来ましたから、平和学習会といって、戦争体験者の語り部の話も聞いていますよ」と言う。

「ああ、そうなんだ。それは失礼、別に咎めてはいないよ。僕だって似たようなものさ、話でしか知らないから」

若者はそれ以上の相手はしてくれなかった。体を洗い終えた彼は無言のままミストサウナの部屋へ入って行った。

僕は身体を洗いながら、あの頃の僕達を思い返していた。僕を含めみんな二十歳前後だったはずだ。アーキーは白人とのミックスで、ミサ、マーサは黒人とのミックスだった。そして彼ら三人は本島の生まれだ。チャコはこの島の近くの離れた島の生まれでミックスではなかった。

僕たちは自分の身の上話をしたことはなかったが、アーキーと彼女たちの髪の毛を見たらそのことは誰の目にもわかる事だ。アーキーの髪の毛は茶色で、父親に似たのかどこから見ても白人に見えた。ミサとマーサの髪の毛はチジれていた。そしてチャコは黒い髪の毛を長くのばしていた。そんな僕達をつなぐものは音楽とドラッグだった。

身体を洗い終えた僕は湯船につかり、もう一度あのレストランへ行ってみようと思った。行って、思い切ってかつての友人たちの事を尋ねてみようと思った。何かわかるかも知れないと。

ミストサウナのドアが開く音がして若者が出てきた。彼は冷水を思いっきりかぶり黙って風呂場から出て行った。

あのレストランは昼間も開いているかもしれない。営業時間を確かめたわけではなかったが、観光客が来るのなら昼間も営業しているはずだと思った。もっと店内を詳しく見たら何かわかるかもしれない。それにあの壁にかかったAサインの印、昔の場所に架かっていたような気がする。それとジュークボックス。あれも昔のままだったような気がする。そう思い風呂場を出て部屋に帰った。

朝食の始まる午前七時過ぎにロビーへ下りて簡単な朝食を終えた僕は、部屋に戻り時間をつぶすためにテレビを見た。テレビでは米軍の新型ヘリコプターが画面に映っていて、その配備についてキャスターと解説者が語っていた。そして、赤や黄色の旗が波打つ集会の映像が流れた。フェンスの前には年寄りの集団が気勢を上げていた。天気予報が始まり、今日の午後からは台風の影響を受けて、少し波が高くなりだすので今後の進路に注意する様伝えていた。そして今日も日差しがきつく、紫外線の影響を受けやすいのでその対策をするように勧めていた。

40年以上前の僕の高校でも日本をそして世界を熱く語る友人達が増えていた。中にはデモ隊へ参加し街へ繰り出す者も出てきていた。デモと集会で騒然としていた街は、学生たちや労働者と称する人々が道へ繰り出していて、自らのセクトを示すヘルメットをかぶり旗を掲げ、鼻から下をタオルで隠して通りを占拠し、故郷を同じくする警官隊と、本土からの応援に駆けつけてきた機動隊とぶつかり合っていた。あの頃は世の中が変わろうとしているように思えた時期だ。僕は集会には時折参加するくらいで、デモには誘われても行く事はなかった。彼らが語る「祖国」を僕は素直に認めることができなかったからだ。そして集会やデモでは声の大きなものが先頭にたっていた。

テレビのスイッチを消し、街の中を歩いてみようと思いホテルを出た。空を見上げると青く広がり、台風の影響など全く感じられなかった。かつて僕たちが徘徊していた街はビルに囲まれていて、知っていると思い込んでいた街並みや通りは、記憶をたどる僕には見つからなかった。仕事柄見知らぬ街へ行くことが多かった僕にとって、この小さな街はわけなく頭に納まるだろうと思って歩いた。ところがビルに囲まれたこの街の道は、北へ歩いているはずがいつの間にか西へ向かい、南へ歩いているはずがいつのまにか東に向かい、道はもっと合理的にできているはずだと、間違っているのは僕で、道は間違ってないと右に左に通りを歩いてみたが、ついには自らの方向感覚を疑ってしまい、故郷で迷子になるなんて俺は何をしているんだと立ち止まってしまった。肩にリュックを背負い、ウエストポーチを腰にぶら下げタオルを首に巻き、Tシャツを汗まみれにして立ち止っている僕の姿は、街を訪ねて歩く観光客としか見えていないに違いない。

ホテルへ戻ろうと周りを見渡し、とりあえずの検討をつけて再び歩き始めた。しばらく行くと「音楽」が通りに流れているのに気がついた。立ち止まり、耳を澄ますと聞き覚えのあるメロディーだ。僕はその「音楽」に誘われて音の鳴る方を目指した。

五、六歩も行くと小さなビルの一階にロックアンドバー・クロスロードと書かれた看板が目についた。音はその店の中から流れて来ていた。「音楽」が止まり中から話し声が聞こえてきたので、そっとドアを開け中をのぞくと男が二人立って話をしていた。

「あのー、開いていますか」と二人の背中へ声をかけた。

「まだ、オープン前なんです」と僕の方へ振り向いた二人のうち、帽子をかぶった男が答えた。二人はジュークボックスの前に立っていて、修理をしているようであった。店内を見渡すとロックのレコードジャケットが壁に飾られていた。そのレコードジャケットの大半のアルバムは70年代前後のもので、僕達仲間、アーキー、ミサ、マーサ、チャコの皆にとって聞き覚えのあるものばかりであった。何時に開くのかと聞く僕に、午後の2時だと答えた帽子の男がジュークボックスの方へ向き直ると、もう一方の男もそれにならってジュークボックスの方へ向き、二人で何か話し込んでしまった。また来ますと言い残して店を出た僕の背中に再び「音楽」が聞こえてきた。どうやらジュークボックスを調整しているようだ。

店内の壁に架かっていたロックのレコードに興味をそそられた僕は昼からもう一度のぞいてみようと思い通りに出たが、しばらく歩いてホテルへ帰る方向が分からない事に気がつき、再びクロスロードに戻り店のドアを開けた。

今度は二人ともカウンターをはさみ椅子に座っていた。帽子の男がカウンターの中で立っていて、もう一人はカウンターをはさんで椅子に座って何かを飲んでいた。二人ともすぐに僕に気がつきこちらを向いたので、ホテルの名前を言って道を聞いた。その際に帽子の男がこの店のマスターであり、カウンターに腰かけた男はこの店のジュークボックスを修理しに来たのだろうと理解した。二人に礼を言いその店を後にした。

教えられた目印のファミリーマートの角を曲がると通りの奥に、昨夜、フライライスを食べたレストランが目についた。なんだ、僕はこの当たりをぐるぐる回っていたのか、こんなところへ出てくるなんて、ホテルまでこれほど近いところまで帰ってきているとは予想もしてなかった。空腹を覚えたので、時計を見るとまだ午前の11時を過ぎたとこであったが、レストランは営業をしていた。

「いらっしゃいませ」と声をかけてきた店員は女性で、昨夜の男性の店員とは変わっていた。昨夜と同じテーブルの椅子に座り、少々早いが昼食はやっているのかと聞くと、「はい、ランチメニューです」とメニューを持ってきた。ポークチャップを注文し待っている間に、ジュークボックスをかけようと席を立ち、店員に「これを聞きたいんですが」と聞くと「あ、いま壊れていて、これから修理屋さんが来るんです」と言う。再び席に戻り腰かけ、料理が運ばれてくる間に携帯でメールをチェックしたが、どこからもメールは届いてなかった。

しばらくしてドアが開き、先ほどのロックアンドバー「クロスロード」であった男が入ってきた。

「あ、いらっしゃい、待ってますよ」と店員が男に声をかけ、五十代に見えるその男は店員に挨拶を返し、カウンターの椅子に座り店長を呼んだ。コックの姿をした店長が調理場から出てきて彼と話し出した。店長はうなずき納得をした様子で調理場の奥へ引っ込むと、男はジュークボックスの前に立ち、大きな蓋をあけて中をいじりだした。どうやら男はやはりジュークボックスの修理屋さんであるらしい。

「ああ、やっぱりもうこれはダメだな」と口に出すのが聞こえたので、「動かないんですか」と僕が聞くと

「ええ、古いもので、かれこれ50年も前のしろものですから、部品がね」

「そうですよね、古いですよね、僕らがここで遊んでいたころはジュークボックスがどの店にも置いてあり、全盛期でしたね、そうですか部品がもう手に入らないんですね」と言う僕の顔を見て

「おたくは確か、先ほどクロスロードでお会いした」

「ええ、そうです。道を教えていただきました。先ほどはありがとうございました。ところで、あそこへ置いてあるジュークボックスも鳴らないんですか」と聞くと「ええ、あれもだめですね」と言うので、通りを歩いていて聞こえてきた曲を思い出し、「あの店に入ったのは曲が聞こえてきたので、興味を持って覗いたんですが、あの音はジュークボックスからではなかったんですか」と再び聞くと「ああ、いや、ジュークボックスの機能はもうだめですが、なんとか内臓のスピーカーだけでも活かそうと、外のアンプとプレーヤーにつないで鳴らすことにしたんですよ。そのテストの音を聞いたんでしょうね」

そうか、僕が聞いた音はテストをしていた音だったんだ。どうやら、あそこのジュークボックスは音楽が聴けるらしい。

「では、後で聞きに行ってみようかな」と僕は答え、運ばれてきたポークチャップを食べようとフォークとナイフを手にしたが、食べるのをやめて「あの、ところで、昔からジュークボックスの修理をされていたんですか」と思い切って男に聞いてみた。

男の話によると20代の頃にジュークボックスを販売する会社で営業をしていたという、それを聞いて僕は「営業でしたら、いろいろなお店を回ったんでしょうね」と水を向けると「ええ、結構、あちこちの店に出入りをさせていただきましたよ」と僕の期待通りに応えたので、僕は自分の名前を男に告げて、挨拶が遅れたことを謝し、手にしたままのフォークとナイフを皿の上に置いて、「そうですか、それではこの辺の海辺にボートハウスがあった事を覚えていませんか」と聞いた。

「ああ、覚えていますよ。ありましたね」

「今はもうないようですが」

「ええ、火事がありましてね、それから取り壊されて片付けらたんですよ、それにあの辺は新しく開発されて」

「昔の面影は全くありませんよね」

「そうですね、プールもなくなり、小さな砂浜のビーチができていますよ」

「ええ、昨日行ってみました」

それから僕は昔この辺に住んでいたことを男に告げ「あの、あそこに出入りしていたアーキーと呼ばれていた人を知りませんか」と一番知りたいことを聞いてみた。

「アーキーって聞いたことがあるような名前ですね。でもよく覚えていませんね」

男の返事を聞き「そうですか、いや、ありがとうございます」と答えて、僕はポークチャップを食べ始めた。

男も椅子に座りカウンターの上に置かれている飲み物をぐっと飲んだ。そして「ああ、うまい、今日は暑くなりそうだね、じゃ、店長、そういうことでね」といって、椅子から降り出口へ歩き出したが、僕の横を通り過ぎると立ち止まり、「クロスロードのマスターなら知っているかもしれませんよ」とポークチャップをナイフで細かく切っていた僕に向かって言った。

「あ、ありがとうございます。今晩でも訪ねて聞いてみます」と答えて男を見送った。

レストランを後にした僕はホテルに帰り、汗のしみついた服を脱ぎ、シャワーを浴びて新しい服に着替えて、部屋の中の椅子に座った。そして、先ほど会ったジュークボックスの修理屋が僕に言った事を心で反芻しながら、外を歩くと何回もシャワーを浴びないとやってられない暑さだ。陽が落ちて夜になってから尋ねる方が良いかもしれない。いや、しかし、夜は他のお客さんもいて忙しいかもしれない。ひょっとすると昼間の方が客も少なくじっくりと話ができるかもしれない、などといろいろ心に浮かべながら決心がつきかねていたが、昼間に行くことにした。時計を見ると午後の二時を回ったところであった。開いている時間だ。

ホテルを出て、昼を食べたレストランへ向かい、そこからファミリーマートの角を今度は右に曲がり、しばらく道なりに歩くと二階建てのビルの一階に小さな立て看板が目についた。ドアに近づくと「音楽」が聞こえてきた。そこが目指すクロスロードだ。

ドアを開けると「いらっしゃい」とカウンターの中の帽子をかぶった男が僕の方を向いて声をかけてきた。「どうも、こんにちは」と応えて「コーヒーでも、いいですか」と聞くと「はい、いいですよ、食事は出せませんが」と答えが返ってきた。

「ええ、食事は済みましたから、ではコーヒーをお願いします」と言って、僕はカウンターの前の椅子に座り、ジュークボックスから流れてくる「音楽」に耳を傾けた。店内にはディランの声とギターがレコードからジュークボックスのスピーカーを通して流れていた。僕の歳ならだれもが知っている有名な曲だ。あの頃は誰もがギターを抱えてこの曲を歌っていたような気がする。そして、「反戦」の象徴のような歌だった。ベトナムの戦争とともに僕たちのあの頃を思い出させる歌だ。高校の反戦集会でもみんなで歌った歌だ。レコードジャケットがカウンターの隅に立てかけてあり、若い頃のディランが寒そうに肩をすぼめて、ジーンズのポケットに手を入れ、恋人と肩を寄せ合いながら、どこかの街をバックに歩いている写真だ。今にもレコードから飛び出して歩きだしそうな写真だ。しばらくして曲がかわり、そしてその次の三曲目「マスターオブザウォー」が流れだした頃にコーヒーが僕の目の前に置かれた。帽子の男はコーヒーを置くとカウンターの中の自分の席に座り、タバコを口にくわえライターで火をつけて、携帯電話を手にしてそのフタをあけ画面を眺めだした。僕は曲のタイミングを見計らって帽子の男に、先ほどの道を教えてくれた礼を言い、そして「あそこの角を曲がったところにレストランがありますよね、あそこにもジュークボックスが置かれていて、ここではジュークボックスが今でも流行っているんですか」と聞いてみた。

「いや、たまたまでしょう、これも拾ってきたものですから」

「え、拾ってきた」

「ええ、二、三日前に拾ってきて、先ほど修理をすませて、音を流しだしたところですよ」と言った。

たまたま拾ってきたというジュークボックスからディランが流れていた。

「レコードはやはり良いねえ、この曲をレコードで聞くなんて、ほんと40年ぶりですよ、いや、懐かしいね」

帽子をかぶった男は僕に顔を向けてニコッとしただけで何も言わず、再び携帯電話を眺めだした。

「あのう、昔、ここの海岸にボートハウスがあった事を知ってますか」と問いかけると、男は顔をこちらに向けて「知ってますよ」と僕の目を見た。それがどうしたのと彼の眼が問いかけてきたので、

「昔、あそこでよく遊んでいたものだから」

「そうですか、本土の方ですよね」

「ああ、そう見えますか、まあ、生まれはここなんですがね、向こうの方が長いものだから、実は40年ぶりに帰ってきたんですよ、ちょうど二十歳になる年にここを離れたものだから」

「40年前ですか、まだ復帰する前ですよね、私が生まれて間もないころですね、ところでお名前は」と聞くので、僕は名前を言った。

「その名前はここの名前ではないですよね」と僕の名前を聞いて彼はそう言った。

僕は自分の名前がここの人々の名前ではない事を知っていて、僕の名前を聞いて誰もが彼のように言ってくるので、「ここの隣町の生まれなんです」と決まり文句の答えを彼に返し「ところでボートハウスによく出入りをしていたアーキーという人を知りませんか」と聞いてみた。

「さあ、知らないですね、本名はなんというのですか」

「いや、実は本名は知らないんですが、たぶん、アキラかな、確かハーフで髪の毛は茶色だったはずです。僕より年上だったから、もう60は超えているはずなんですが」生きていればと言いかけてやめた。

「いや、知らないですね」と彼もまた知らないといった。

「そうですか、いや、先ほど会った、あのここで修理をしていた方、あの方とそのレストランであったのですよ、そしたら、クロスロードのマスターなら知っているかもしれませんよというもんですから、ここへ来てみたんです」

「ああ、そうですね、マスターなら知っているかもしれませんね、昔はこのあたりでよく遊んでいたらしいですから」

「え、貴方がマスターではないのですか」

「ええ、私はマスターではありませんよ、昼間の時間に手伝いに来ているだけですから」

帽子の男はマスターではなかった。この店のマスターは夜の10時頃に店へ出てきて彼と交代するという。そして、朝の4時まで店を開けているという事を知った。ああ、そうなんだと納得した僕はコーヒーを飲み終え、「それではまた来ます」といって店を後にした。

再びホテルに帰った僕はフロントで紹介してもらった近くのレンタカー屋で車を借り、南部の戦跡を回る事にした。すでに午後の四時を回ってはいたが南国の太陽はまだまだ青く澄み切った空から強い光を地上に降り注いでいた。

島の南の果てには広い平和祈念公園ができていた。毎年六月にはここで慰霊の日が行われるのをテレビのニュースで見ていた。展示館はすでにしまっていたが、それでも公園には人の姿があちらこちらに見えた。僕は多くの名前の書かれた墓碑銘を通り過ぎ、平和の火がともっている広場も通り過ぎ、南の果ての海を眺めに行った。海は青く澄んでいて、白い波頭が岩だらけの海岸に押し寄せて来ていた。そして遠くの水平線には白い雲が浮かんでいた。碧い海原から湧き上がり白く打ち寄せる波を眺め、岩に砕け散るその波の音を聞き空と海の藍色をしばらくの間眺めた。

祈念公園を後にして、最南端の岬へ行くことにした。歩く時と一緒で車で行く時も地図や道を確認せずに、道があるなら必ずつながっているはずだと大体の方向で行くことが多い僕は、この時も最南端の岬を目指す途中で舗装のされていないサトウキビ畑の中に迷い込んでしまった。いったん車を止めて外の景色を見渡した。耳を澄ますとすぐ近くで波の音がする。そして近くでカメラを手にした男が立っているのが目についた。車を動かしその男に近づき道を聞くと、キビ畑の上から、遠くに見える灯台の先端を目指していけば良いと教えてもらった。確かに灯台は見えた。そして灯台は海を行く船の目印ばかりでなく、道の案内にも目印になる事を知った。

最南端の岬には大きな慰霊塔が立ってはいたが人はいなかった。切り立った断崖を除くと、白い波が荒々しく打ち寄せていた。ここが救いようもない絶望の果てで、そこに灯台と慰霊塔が並んで立っていることに不思議な思いがしたが、岬から眺める海はやはり青く澄みきっていた。そして水平線の向こうに丸い月が昇ってきていた。寄せてくる波は平和公園のある岬よりもこちらの方がより高いように思えた。僕は両手を合わせて何かに祈り岬を後にした。

帰る途中に道の傍にサーフボードをおいて服を着替えている肌が黒く焼けた幾人もの若者の姿に出会った。この場所がホテルの風呂場で出会った神戸から来たというあの若者が言っていたサーフポイントなのだと理解した。そこで車を止め海の見える場所まで行くと、白い波頭に乗ったサーフボードの上に人が見えた。

ホテルに着くころにはすっかり陽が落ちてお腹も減っていた。途中のコンビニでカップラーメンを買い、ホテルに帰り部屋に備え付けられている電気ポットでお湯を沸かし軽く食事を済ませた。そしてシャワーを浴びてベッドに横になった。ベッドの枕元の時計を見ると午後の十時前だった。クロスロードへマスターが来る時間だと思いながら、先ほど最南端の喜屋武岬で見た灯台を思い出し、砂漠の中にも灯台があれば迷わないのにと気がついた。そうだ、次に砂漠の夢を見た時は灯台を思い出そう。そして、夢の中に灯台を登場させるんだ。そうすれば砂漠の中の僕は迷わないはずだ。その自分の思い付きに、思い焦がれていた故郷へ帰り、頭の中で夢と現実の世界をまぜこぜにしている自分に、ほんとに夢と現実がわからなくなったらどうしようと少し不安になった。あれから40年も経つのに、フラッシュバックでもしたのだろうか。まさか、そんなはずはない、薬をやめてからは何十年も普通に暮らして来たのだから。時計を見るとデジタルの表示が数字の10と15になっていた。部屋を見渡しても別段変わりはなかった。そして天井の壁を見つめてみた。壁が膨らんだりへこんだりと呼吸をするわけでもなく、勝手に絵が出てきて踊り出すわけでもなく、灯が数多く連なって見えるわけでもなかったが、この感覚はトリップしたときの感覚に似ている事に気がついた。僕はその感覚を振り払い現実に戻った。再び時計の数字を見ると10と35と表示されていた。それを見て、そろそろクロスロードに行ってみようとベッドから体を起こし、部屋を出る用意をした。

クロスロードのドアを開けるとドアーズの軽快な曲が店内に流れ、カウンターの中に、年の頃は僕とあまり変わらないように見える白髪頭の、白い口ひげをはやした体のがっしりとした男が立っていて「はい、いらっしゃい」と僕に声をかけてきた。「今晩は」と挨拶を返しカウンターに座って、店の中には他に客がいない事に気がついた。

「ああ、まだ早いんですよ」と白い口髭の男は僕が訝しがっている事に気がついたのか声をかけてきた。

「ああ、そうなんですね、聞くところによると夜が遅いそうですね」

「そう、ここの人はね、酒を飲むのは遅くからなんですよ」

「それで、朝の四時まで開いているのですか」と納得し、続けていったいどんな人たちが飲みに来るのかと聞きそうになったが、その質問を飲み込みブラディーメアリーを注文した。僕はウォッカとトマトの不吉な名前のこのカクテルが好きだ。トマトの香りと味は口当たりがよく、そしてウォッカが僕を程よく酔わせてくれるからだ。

それから、本来の質問をトマトジュースとウォッカを混ぜているカウンターの中の白髪頭の男の背中に聞いてみた。

「マスターはこのへんにボートハウスがあったのをよくご存じと聞いてここに来たのですが」

「ええ、よく知ってますよ。まだ復帰前のこの辺の事もね」二つ返事で帰ってきた彼の受けごたえに、これなら間違いないと僕は確信を持った。

「ところで何か取材ですか」と問いかけてきたので、

「いえ、そうではないんですが、ちょっと、懐かしくて会いたい人がいるもんですから」

「本土から来られたんですか」確かに僕は本土から来たのだが、うんざりする質問だ。

「ええ、そうですけど、僕はこの街の生まれなんですよ、いろいろと事情があり40年ぶりに故郷へ帰って来たんで、昔の友人がどうしているのかなと尋ねてみたくなって」

僕の目の前に出来上がったカクテルを置きながら、彼の眼はそうなんですかといっていた。

「ああ、自分探しですか」決まり文句の質問をしてきた白髪頭の男に、

「自分ではよくわかりませんが、そんなものかもしれません。ところで復帰前にこの辺でアーキーと呼ばれていた人を知りませんか」と、置かれたブラディーメアリーのグラスを手に取り、僕は彼の目を見つめて聞いてみた。

「どちらのですかね、よくありそうな名前なんで、本名は」

「いや、アーキーとしか知らないんです。本名は知りません。確か白人とのハーフだったと思うのですが、年も僕とそれほど変わらず、ここで遊んでいた当時は20歳を少し超えたところだったと思うんです。だから・・・」生きていたら今では60を超えていると思いますと心の中で続けた。

「僕は正巳といって、その頃はみんな僕の事をサミーと呼んでました、なにか聞き覚えありません」

あの時、1971年8月11日の午前一時を回った頃、ある米兵が軍道一号線の那覇軍港前で、客待ちをしていたタクシーの運転手に石を投げて負傷させた。その事件を発端として起こった波の上の暴動は、初めは同僚のタクシー運転手と通行人が徐々に集まり、那覇署に引き渡された米兵を出せと騒いでいたが、沖縄県警に引き渡しを拒否されると、怒った群衆は午前三時過ぎ頃に、当時の米兵の多くが遊び場にしていたこの街に集まりだし、米兵と見るや手当たり次第に袋叩きにしだした。その時、僕たち二人はマリファナとLSDでトリップして、小高い丘の空き地で空を見上げて、アーキーの云うこの星と全く同じ星に行き、その帰りに僕はレストランでラリッたチャコにスピードを渡して、ミサとマーサにチャコをまかせて、キンクスの演奏するライブハウスでアーキーと落ち合い、演奏が終了して店を出たところであった。アーキーはかなり酒で寄っていた。売人はあまり自分の商売道具には手を出さないので、彼はジャンキーと言うほどではなかった。僕は時折、自分の分を他人に売ったりしていたが、売人と云うよりはジャンキーの方だった。そしてライブハウスを出るころには酒とマリファナとLSDで気分を良くしていた。

その午前三時を回っていたのだろうと思う。通りを歩いていた僕たちの目の前に、ミサが走ってきた。キースが狙われているとあわてていうので、「どうした」と聞くと、通りに群衆が集まってきて手当たり次第に米兵を袋叩きにしているという。キースもベースに帰ろうとタクシー待ちをしていたら、大声をあげて人々が集まりだし、口々に叫びながら迫ってくるのを見て、キースはあわててミサのいる店に引き返し、助けてくれと言って店の中に隠れているという。しかしこの日にベトナムへ爆撃に出発するというキースは、どうしても朝の早いうちにベースへ戻らないと困るというので、そこでキースを店に残し、僕たちに助けを求めてきたという事だ。

もうそろそろ眠りにつこうとする街には、夜明け前というのに人々が通りに集まってきていた。そして数人の米兵が追いかけられて走って逃げていた。酔っぱらって足元のおぼつかないアーキーをそのまま通りに残し、ミサとともに店に駆けつけた。するとそこには体を震わせているキースと傍に恋人のマーサが座っていた。

しばらく様子を見ようと店の中のボーイや女の子たちと相談しているうちに、外から群衆が口々に叫びだす大声が聞こえ始めた。外へ出てみると膨れ上がった群衆が機動隊と対峙していた。そして群衆は口々に機動隊に罵声を浴びせていたが、群衆の中から機動隊に向けて石を投げ始めるものが出だした。それを見て、機動隊が一斉に群衆へ向けて警棒を振り上げ突撃をしてきた。あわてた群衆は逃げまどい、多くの人々はこちらに向かって走って逃げてきた。その群衆の後ろからはヘルメットをかぶり、銀色の盾を持った機動隊が群衆を追いかけてくるのが見えた。すでに捕まった者は警棒で殴られていた。それを見た僕は「やめろ―」と大声でなんども叫んでいた。僕はその時初めて、はっきりと、明確に怒りを覚えた。そして、近くのビルの裏に走り、そこにある非常階段から屋上に上がり、屋上から手当たり次第に機動隊へ向けて必死に石を投げつけた。目に涙が溢れてきた。涙を流しながら機動隊へ向けて石を投げ続けた。

屋上の僕に気がついた機動隊の幾人かがビルの裏口に回るのが見えたので、石を投げるのをやめ屋上にあるビルの屋内に通じるドアから、一階にあるレストランの裏口を通り中に入り、呼吸を整え何事もなかったかのようにカウンターの椅子に座った。そこは僕たちのたまり場のニューヨークレストランだ。

暫くしてレストランの裏口から機動隊の服に身を包んだ男たちが、顔を出しては中を一瞥してすぐにドアを閉めた。

逃げまどう群衆の姿と追いかけてくる機動隊の姿を思い出したら、再び涙があふれてきた。そして、突然に通りに残してきたアーキーを思い出し、あの騒動から無事に逃げたのか心配になってきた。彼はウチナアンチュだから大丈夫だと自分に言い聞かせ、キースの待つ店に戻ろうと表に出てみると、通りには石ころや割れたビールの瓶が散乱していた。もしかしてと不安になり、キースの待つ店に戻るのをやめて、アーキーを残した通りまで戻ってみた。しかし、そこにはすでにアーキーはいなかった。そしてアーキーと僕はそれっきりになった。

年が明けて1972年の正月が終わり、東京へ出てきた僕がアーキーの消息を聞いたのは、遅れて東京へ出てきた知人のヒトシからだった。ヒトシの呼び出しを受けて待ち合わせの新宿の喫茶店に入ると、先に来ていたヒトシが僕を見つけて手招きしたので、彼の向かいの椅子に座った。そしてヒトシが僕の方へ顔を寄せてこう言った。

「サミー、アーキーが死んだの、知ってるか」と

「え、何処で」

「沖縄、那覇の平和通りの、ほら、平和通の入口に喫茶店が、あそこのトイレの中で」

「トイレの中って、いつの事よ」

「今年の三月の終わり頃らしいよ。見つかった時に注射器が傍に転がっていたと聞いたから。突然の心臓発作なんだろう。たぶんな」

「誰から聞いたんだ」

「キンクスのヨシオから」

「アーキーはシュートの中毒じゃなかったはずだ。僕がやろうとした時も彼は止めたんだよ。止めとけってね」シュートとは注射を打つという事で、僕たちの間ではヘロインを打つという事だった。

「ああ、でも死ぬ前は相当だったらしいよ」

あの夜、僕がアーキーを残してミサと一緒にキースの待つ店に駆けつけた夜の事だ。アーキーは僕たちが去った後、通りで騒ぎだした群衆に捕まり、米兵に間違えられて散々に殴られて道に倒れ、立ち上がろうとしたところを押し寄せてきた機動隊と逃げまどう群衆にもみくちゃにされ、再び道に倒れ、まだ騒ぎの治まらない最中に見つかり、救急車で病院へ運ばれたという。彼の怪我はかなりの重傷で、退院してからは名護の親戚の家で療養していたらしい。そして年が明けてまた僕の故郷の街に戻ってきたという。しかし、その時には僕は東京へ旅立っていたという事だ。

そう、僕は故郷へ帰る前からアーキーはもうこの世にはいないという事はすでに知っていた。でも、心の奥底では置き去りにしたアーキーの事をずっと後悔している自分に気がつき、故郷へ帰り、その後の、あの夜からのアーキーの事が知りたくて訪ね歩いていたのだ。

そこまで黙って僕の話を聞いていたクロスロードのマスター、白髪頭で白い口ひげをはやしたマスターが口を開いた。

「実はそのアーキー、アキラは僕の従兄弟なんです。もっとも9歳も離れていますから、ほんのわずかの事しか知らないんですがね」

アーキーの従兄弟、まさかこんな巡り会いをするなんて、僕はびっくりして彼の顔を見た、アーキーとは似ていない。しかも、彼の白髪頭に60歳近くだと思っていた僕はびっくりして、「えー、そんな」と思わず声をあげてしまった。

マスターの話によると、その夜の事をアーキーは病院で警察の事情聴取を受けて次のように答えたという。

「群衆に囲まれた時に、タックルセー、タックルセーと口々に皆が叫ぶんで、中指を立てて皆に向けたら、あっという間に殴られてしまい、気がついたら病院のベッドの上と言うわけです」

「どうして中指なんか立てたんだ」という警察の質問に、

「どうしてって、なんか腹立たしかったからですよ、自分が奴らに米兵と間違えられているという事が、それにいちいち説明なんかやってられないじゃあないですか」

マスターから聞くアーキーの生い立ちはとても複雑だ。彼の母親は米兵と恋仲になりアーキーを産み、しばらくはその米兵と一緒に暮らしていたらしい。そして、父親の米兵がアーキーの母に黙って本国へ帰ると、アーキーの母親は別の米兵と暮らしだし、その米兵が本国へ帰るときに、今度はアーキーを残して一緒に渡米したという。アーキーが二歳の時だ。アーキーはその後、名護に住むおばあちゃんに育てられ大きくなって那覇へ出てきたという。当時の田舎の名護では周りの大人たちから随分と蔑められたらしい。時にはおばあちゃんが出てきてその大人達と言い合いをしてアーキーの事を守ったという。そんな田舎でも、屈託のない子供たちはアーキーと仲良しになり遊び友達もできたらしい。しかし、街へ遊びにやって来た米兵達と通りで出会ったりすると、アーキーは必ずその米兵達から英語で話しかけられたという。米兵達からすれば見た目は全くのアメリカ人の子供であるアーキーに、親近感を抱き声をかけたのだろうが、そのたびにアーキーは興味深そうに米兵の周りに群がる友達を置いて、独りその場を逃げるように走り去ったという。無論の事、彼は姿かたちはアメリカ人でも英語は話せるはずがなかったからである。小学校の高学年になると、アーキーの遊び友達は米兵達がやってくると無理やりアーキーを先頭に立て、米兵に話しかけられて困惑するアーキーを見て面白がっていたという。それにもかかわらず、アーキーにとっては大切な友人たちであり、そのことを知っているアーキーのおばあちゃんはその友人たちに、時には両手を合わせて「ありがとうね」と拝むように感謝をしたという。

アーキーは退院して来て一旦は名護へ戻ったものの、仕事のない名護にいるよりはと再び那覇へ出てきたという。そして、以前のように波の上でボーイをしていたが、自ら様々な薬に手をだし、ついにはヘロイン中毒になり、一日に七回も注射を打たなければならなくなっていたという。

そこまでマスターの話を聞いて僕はある事を思い出した。アーキーと知り合って間もないころの事だ。アーキーと友人になったつもりでいた僕は少し調子に乗って、どこからどう見ても米国人にしか見えない彼に、英語で声をかけて殴られそうになったことがある。その時彼は「お前はおれをばかにしているのか」と僕を睨みつけて言った。「二度と俺に英語で話しかけるな」とも言った。なんでそれほど怒るのだろうとその時は不審に思っただけだったのだが。その時のあのアーキーの怒りようと、暴行を受ける前に群衆に向かって中指を立てたアーキーの気持ちが何となく僕に伝わってきた。

そして今は、アーキーが僕に話してくれたこの星とこの街と同じ人々が住んでいる星を、彼は幼いころから見つめていたんだ。と、僕はアーキーの事を理解した。

それからまたある夜の事も思い出した。ミサ、マーサ、チャコ、そしてアーキーと僕達五人はおなじ部屋にいた。チャコが銀色の小さな容器を開け、中から注射器と茶色のゴムを取り出した。ミサはスプーンを片手に持ち蝋燭の上にかざし、その上に乗せた白い粉を水で溶かしていた。

そしてマーサはチャコから受け取った茶色いゴムを腕に巻き付け始めた。僕とアーキーは無言で彼女たち三人のしぐさを見つめていた。僕には初めて見る光景だった。スプーンの上に白い粉の溶けた水溶液ができると、チャコが注射器でその水溶液を吸い出し、茶色のゴムを巻きつけたマーサに注射器を渡した。マーサはそれを受け取ると自分で自分の腕に注射針を差し込んだ。次はミサで、その次がチャコ、そして最後にアーキーがおなじことを繰り返した。一通り四人が打ち終えると、僕は自分も試したいと皆に言った。

「サミー、これには手を出さない方がいいよ、止めときなさい」とミサ。

「ああ、これでやっと、元に戻れるわ」とチャコ。

「そう、私たちはもうだめだけど、あんたは止めといたほうがいいよ」とマーサ。

「サミー、いつでも止められると思うのが麻薬というもんだ。初めはね、覚めると、なんだこんなもんか、これなら止められると思うものなんだよ、ところが、一度でもやると、もうだめなんだな、初めは一日一度、それが、一日に二度、三度とだんだん増えていくんだ。薬から覚めるたびに、この程度ならいつでも止められると思うんだ、そして、気がついたら一日に何度も、両腕の血管が固くなり針を通さないくらいにね、そしたら、次は足の血管に、しまいには首の血管に針を打ち込んで、それで終わり」アーキーが語る言葉は僕を止めた。

チャコが再び口を開いて「これにはルールがあるのよ、もし、万が一気分が悪くなったら、一人で部屋から出て行くの、外で死んでもらうの、そうしないと皆に迷惑がかかるでしょう」チャコの目は薬を打つ前よりもまともに輝き、話す言葉もしっかりとしている。彼女が言うように元に戻ったんだ。

クロスロードのカウンターに両手を合わせて肘をつき両手の親指に顎を乗せ、祈るような姿勢でしばらく目を閉じていた僕に、「ほら、サミー、星は吊るされているんだ、風で動くんだよ」と囁くアーキーの声が聞こえてきた。

「アーキー、その星へ僕も行ってみたい」

「もうすでにそこにいるよ。周りをよく見てみろよ。顔は知っていても知らない人だらけだろう。知っていると思い込んでいるだけなんだから。この星に捨てられた者だけがその事を分かち合えるんだ」

その時は何のことかまったく理解できなかったが、いまはなんとなくわかったような気がする。

気がつくとクロスロードの店内にはドアーズのデビューアルバムのB面の最後の曲、アーキーが大好きだった曲が流れていた。

1972年の正月が済んで、僕が彼らを残して東京へ逃げた後、チャコは精神病院へ入れられたが、そこを脱走してからは行方が分からないという。

ミサはなんとか立ち直りしばらくは水商売を続けていたが、米兵がいなくなるとどこかへ去ったらしい。

マーサはキースが本国へ帰った後にここを去ったという。

そして、その年の三月のある日、アーキーは喫茶店のトイレの中で死んだ。それから二か月後、僕たちの故郷は「祖国」と言う名の一部分になった。